焼き払われた木々の枝が黒い地面に向かってしな垂れている。
緑を忘れた樹海の木々は、真っ黒い絨毯を敷き詰めたように、残酷にも地平線の彼方まで続いている。
かつての面影を消した樹海を歩き回ってしばらく、岩陰の向こうに白い幕のかかった荷台を引いたロバが居た。
灰色の髪を持ったキツネ目の男は、其のロバに向かってまっすぐ歩いていく。
ごつごつした地面は素足を傷付けてなかなか思うように前に進ませてくれない。
「もうすぐです。大丈夫ですか?」
灰色の男は、目を細め、傷だらけで、縺れた足を懸命に進ませる若者に声を掛けた。
鋭利な顎が大きく動くのが見える。
細い肩も大きく上下している。
先ほど居た場所から1キロほどしか離れていないのに、若者の息は上がってしまっていた。
細い腕、細い足、細い身体…年の頃を言ったら15、6くらいだろうか…と男は漠然と考える。
貧困街に追い込まれた経緯には、15年という人生の中で様々な紆余曲折があったのだろう。
そう、
例えば、半月ほど前に燃えた、此の樹海に棲むという『幻の一族の生き残り』が流されて来てしまったとか…。
灰色の男は、懸命に自分に近づいてくる麻布を纏った少年を見つめて、そう思いながら小さく口の端を上げた。
何とかロバの元に着くと、男は白い幕を開き、中に向かって、
「今、帰ったよ。ちょっと出てきてもらえる?」
と言い、荷台の奥から黒い布を引っ張り出してきた。
黒い布には何かが巻かれていた。
荷台から其れが下ろされると、『ドス』という鈍い音を立てた。
黒い布は、独り勝手にゴソゴソと動き、布の端切れから赤黒い頭部が見え始めた。
「誰?」
黒い布から出てきた赤黒い髪の男は、垂れた眼を不機嫌そうに細め、汚らしい麻を纏う少年を睨み付けた。
「ん?拾ってきた。」
灰色の男は間髪入れずに、赤黒い髪の男の質問に答えた。
しばらくの沈黙があり、それから最初に出てきたのは、赤黒い髪の男の怒声だった。
「ど――――――――してお前は街に出かけて行く度に拾い物してくるんだよ!!!!」
「だって、だって、アギィ、可哀想じゃないか!」
「可哀想だね。うん、とっても可哀想だ!だが、同じような奴は何もこいつじゃなくても何百と居ただろ?」
…可哀想?
麻のフードの下から見える鋭利な顎が、小さく動いた。
…誰が、可哀想なのだろう?
「折角連れて来たんだし、此処でまた捨ててくなんて非道い人間のすることだよ。アギィ。」
灰色の男は細い目を上目にして、猫撫で声で『アギィ』と呼ばれた男に向けて言う。
「キモイ。死ね。」
アギィはそんな男の言葉をばっさり切り捨てる。
「それにさ、アギィ…此の子、双黒だよ。」
灰色の男は流し目で、麻のフードを被った少年を一瞥した。
思わぬ裏切りに、少年は顔を上げた。
フードの下が2人(+1匹)の旅人(+ロバ)にも覗けるようになった。
アギィの垂れた眼は大きく見開き、眉間には、浅くではあるが皺が刻まれていた。アギィの眼は薄い紫色をしていた。
「…マジかよ…」
フードから覗く少年の顔。
確かに長く伸びた前髪は、艶のある純な黒色をしているし、深く刻まれた皺を創る眉毛も、綺麗なくらいの漆黒である。其の髪の間から覗く眼も漆黒であった。
そして、『其れ』は左目だけで、見え隠れする右目は赤黒い塊が浮き上がり、『眼』というものが潰されていた。
此れにはさすがに灰色の男も絶句の状態で、黒い樹海は一瞬、時が止まったかのような空気が流れる。
カサッという枝を踏む音で、男2人の思考回路は回復する。
麻の布を纏った少年は、時の止まっていた男2人(+ロバ1匹)に背を向け、来た道を戻ろうとしていた。
「ま…待って。」
灰色の男が呼び止め、少年の後を追う。
アギィもそれに続く。
追いついた男は、少年の細い肩を引き、勢いよくこちらを向かせる。
弾みで麻の布がずり落ち、フードは落ち、肩がその白い曲線を覗かせた。
肩まで伸びた漆黒の髪が日を浴び、いよいよ隠されていた顔立ちがはっきり現れた。
潰された眼を抜かせば、整った顔立ちをしており、白い素肌は漆黒の髪のおかげで浮きだって映えて見える。
「…羽根…」
アギィが呟く。
二の腕までずれ落ちた麻の布は背の上部をすっかり見せた。
そして、左の肩甲骨のあたりから見える黒い羽毛に、カイロとアギィは絶句した。
「双黒に…翼が…」
白い背中に浮きだつ漆黒の羽根。綺麗に畳まれて生えているのは左だけで、右の翼はまるで何かに毟り取られたかのように背中のすぐ先で羽根を散らしていた。
「此処に来る前に少し大きな砂漠の街で軍局放送が流れていました。そこで、幻の異種族と言われた双翼族の集落を襲い、一種族を滅ぼしたそうです。」
黒色の少年はずり落ちた麻の布を引き上げ、目を背けた。
「…軍が異種族殲滅作戦を起こすきっかけになった100年前のある事件で犯人とみなされた双翼族の男がいました。そいつの翼が漆黒で、特殊な能力に長けていたことから黒翼一族が殲滅され、居なくなったとされました。しかし、その子孫らしき黒い翼の少年を集落襲撃の折に発見・・・取り逃がした・・・そうです。」
「漆黒の翼を持つ堕ちた天使は、災いを呼びて地を滅す…俺たちの部落ではそんなダークな遊び歌があったが・・・」
「アギィのふるさとは事件のあった所に近いから、それが残っているんでしょう。人間を始めとするこの地上に存在する様々な種族を恐怖に陥れたような事件だったそうだから、漆黒の翼を持つものが居るということ自体が恐怖になっているんでしょうね。さて・・・」
ここまで一息に喋ったカイロは一呼吸置き、狐のような細い目をさらに鋭くさせ、少年をねめつけた。
「軍局放送では、殲滅の際に『黒い翼の少年を捕り逃した』と言っている。このことから最低1人は黒翼を持った人がこの地上にいることになります。アギィの集落みたいに歌で語り継がれるほどの恐怖の対象ですから、軍に囚われれば・・・」
といって灰色の男は親指を立てて喉元へ運び、横に動かして切る仕草をして見せた。
「もとより、死にたいならわざと其の身を曝して処刑された方が楽だったでしょうに。」
「ニンゲンの手に落ちるくらいなら、あのまま朽ちていく方が数万倍マシなんだよ!!!」
低過ぎるわけでもなく、子どもほどの高さもない声が樹海に響いた。
先ほどまで死んでいた漆黒の目つきが、鋭く、憎しみを感じるほど険しいものに変わっていた。
其の声波に何か受けたのか、大人しかったロバがいきなり、自ら手綱を切って樹海を飛び出して行ってしまった。
アギィもその場で蹲ってしまった。
「…へぇ…それが“力“?」
其の状況に臆面もなく灰色の男が言う。
「うるさい!寄るな!来るな!来るなぁぁぁ!!!!!」
再び、声の波動が起き、炭化した木々を揺らし、大地を揺らし、アギィの耳を劈いた。
「ボクには効きませんよ。それに、そんな弱った身体で“力”を使いすぎると良くない。」
「お前には関係ないだろ!ニンゲン風情が偉そうに僕の巫力を弾くなんて…」
じりじりと寄ってくる男を寄せ付けまいと、少年は声の波動を出し続けた。
しかし、衰えていくのは、男の後ろで蹲るアギィだけだった。
男の手が伸び、少年の額に当たる。
すると、男の指は少年の額を思いっきり弾いた。
「いたーーーーーーい!!」
少年は波動を止め、その場で蹲った。せっかく引き上げた麻の布はもう腰回りしか覆っていない。
「秘技・デコピンです。」
「おい、カイロ。」
先ほどまで蹲っていたアギィが、灰色の男の肩を叩いた。
「…双黒は『双翼族』のある一族にしか出てこない色です。」
カイロは眼を細め、口の端を上げた。
「ボクは、君の風貌を見て、何者か分かった上で声を掛けました。例え翼を畳んでいたとはいえ、その手足や顔の面影から其の身体の厚さは猫背にしては微妙に不自然です。」
そしてカイロは、蹲った少年の肩に手を掛け、
「君が『双翼族』だってすぐに分かりました。だからこそ、そのままあそこで朽ちて逝かれては困ります。」
少年はゆっくり顔を上げた。
「憎むはニンゲンではなく、『此処』を焼き払った軍人です。どうですか?軍に、復讐してみませんか?そのために貴方を誘ったんです。」
少年の一つしかない目には、悪巧みをしている大人が2人、ニタニタ笑ってこちらを見つめていた。
少年は、ゆっくり首を縦に振った。