アイドルは22歳★
洛陽の王宮の長い廊下を、司馬懿は黒鳥の羽扇を仰ぎながら走るように歩いていた。
其の姿は、今日日この上ないほどのお怒りな様子である。
「おのれ、諸葛亮め、この私をナメているのか…馬鹿めが、馬鹿めが、この司馬懿仲達の恐ろしさをみるがいい…」
と、大きな独り言を吐きながら、歩いている。
武官の調練室前に辿り着くと、部屋の前に、西洋鎧のような甲冑を纏った厳つい漢(おとこ)が双戟を手に立ち尽くしていた。
「ホウ徳、そんなところで何をしている。」
眉間に皺を深く刻んだ司馬懿は、甲冑漢に声を掛けた。
ホウ徳は、眼だけを声の主に向け、ゆっくり口を開いた。
「…宣教師様がまかり越して居られます。某、その警護でございます。」
低く、重圧な声が腹に響く。
司馬懿は更に深く眉間に皺を刻んだ。
「せ…宣教師?なんだそれは。」
「…“あいどる“の教えを説く宣教師様でございます。」
「“あいどる”?何を訳の分からんことを抜かしておるのだ!ホウ徳、そんな変な奴の護衛は要らん。持ち場に戻れ!」
司馬懿は、羽扇でホウ徳を指し、命を下した。しかし、
「これは殿の命でございます。」
と言ってガンとして動かなかった。
「殿だと?殿は何処に居られるのだ!」
「此処でございます。」
「どけ!」
司馬懿はホウ徳を退かし、武官の調練場の扉を開けた。
開けた瞬間、噎せ返るような香の匂いに、一瞬だけ意識を失う。
そんな中、囁くような声が聞こえてきた。
「アイドルは〜、トイレに行きませ〜ん。」
『あいどるは〜、といれに行きませ〜ン』
ゆっくり、静かに、諭すような囁きを、軍人たちは同じように復唱している。
中には、第一線で活躍している将軍の顔も見られる。
司馬懿は、異様なこの空間に尻込みしつつも、“宣教師”と云われる部外者を目で探す。
「アイドルは〜、永遠の22歳〜」
『あいどるは〜、永遠の22歳〜』
100人近く集まっている軍人の先頭に、蒼いマントを翻した男が、右手を顔の前まで上げて、何かを唱えている。
「…ん?………あれは!」
その蒼いマントの男は、この城の主の姿、其れだった。
「殿!何をなさっているのですか!」
雑魚兵を蹴倒して、司馬懿は怒声を吐きながら前に突っ込んだ。
「仲達〜…」
この国の主で、城の主である曹丕は先ほどのように囁く声で、司馬懿の名前を呼び、近づいてきた司馬懿の顎を掴んで、自分の前に引き寄せた。
「私は“殿”ではない。“宣教師”だ。」
「はぁ?」
それだけ言うと、曹丕は司馬懿を突き放した。そのまま、またポーズを取り、
「アイドルは〜…」
と続けた。
司馬懿は調練場を後にして、再び廊下を走るような速さで歩いていた。
「ふん、凡愚め。」
今度は、口の端を上げ、機嫌が良いような表情で歩いている。
「曹魏など恐るるに足らんわ!あの凡愚を蹴落とすのも時間の問題だ。ふははははははは」
司馬懿の高らかな笑い声が廊下に響く。
「楽しそうですね。」
脇から声が聞こえ、司馬懿は驚きのあまり飛び跳ねた。
「ちょ…張…コウ…か…」
司馬懿は壁に張り付き、声の主の姿を確認すると、安堵の声音で呟いた。
「張コウ、こんなところで何をしている。」
衣服を整え直しながら、司馬懿は落ち着きを含んだ声で、言う。
「ええ、部下たちと可憐な舞いの練習をして居りました。」
「…ま…舞い…かぁ、それはご苦労であったな…」
「ええ。本番がもうすぐですので。」
「本番?」
司馬懿の眉間に皺が寄る。
司馬懿の計画では、戦はしばらく無いはずだ…
「奇襲…か…それもいいな。あの凡愚もなかなかなものを考えるではないか…」
司馬懿の口端が上がる。
「これで、諸葛亮の出鼻を挫く事ができるわ…くくく…張コウ、先陣はお前の隊に任せよう。」
「は?司馬懿殿が勝手にお決めになってよろしいのですか?」
張コウが不思議そうな顔で聞く。
「私は軍師だ。軍師がこんな大事なことを決めず、誰が決めるというのか!」
司馬懿は羽扇の先を張コウに向けて、高らかな笑い声を上げた。
「はぁ…しかし、今度のはなんでも“あいどる”とやらを決める選手権というものであると、殿がおっしゃっていましたが…」
「待て…一体どうしたことか?何故いきなり殿は“あいどる”などを説くようなことになってしまったのだ?」
司馬懿は張コウの手首を掴み、問い詰めた。其の瞬間に張コウの頬が微かに紅潮した。司馬懿はごほんと咳をし、張コウから手を離した。
「此の前の戦で、殿は“あいどる”を見たそうです。」
張コウは顎に手をやり、思い出しながら微笑を浮かべた。
「“あいどる”は蒼い月を背に、白い縫を纏って風を起こし、星を呼び、地を割ったそうです。」
「ふははははは、それはなんだ。あいどるとは神を気取った仙人か?そんなものを崇拝するなど、堕ちたものよ!」
「堕ちたかどうか、確かめてみぬか?仲達よ。」
背後から不適な笑い声と共に低い声がやってきた。
「こ…これは…殿、宣教師とやらの仕事はもうよろしいのですか?」
振り返ると、先ほどの青いマントと鎧を纏った自国の主が、ニマニマ笑いながら立っていた。
「もう武器を取り合う時代ではない。戦は武と智だけで行う時代は終わったのだ。分かるか?仲達。奇跡、そう、奇跡が人心を掴み、国を制す証だ。」
「言っている意味が…分かりません。」
「真の“あいどる”は奇跡を生み出す。そしてその奇跡の御業で人の心を掴み、国を治めるのだ。」
「こんなこと言うのはアレですが、あんた、バカですか?奇跡が人を治め、国を治めるなどありえません。より確実なのは智!先人も先々人もそう説いているではないか!」
司馬懿は羽扇を地面に叩きつけて大声で、曹丕を罵った。
「しかし、“あいどる”は現に奇跡を生み出した。」
「奇跡などありえん!大体その“あいどる”というのはなんだ?何者なんだ!」
「明日になれば分かる。仲達、お前も参加だ。いいな?奇跡を生み出せ!明日、辰の刻、五丈原だ。」
司馬懿は、口をあんぐり開けたままその場に立ち尽くしてしまった。
曹丕と張コウはケラケラ笑いながら、司馬懿を置いて、さっさと行ってしまった。
翌日。
五丈原は日差しで陽炎が揺らいでいた。
司馬懿は、窮奇の羽扇を大きく揺らし、自らに風を送っていた。
「おい、バカ殿はまだか!」
「は、曹丕様は只今、開会の儀に参加している模様でございます。」
「はぁ?開会の儀?なんだ、それは!」
傭兵たちは互いに見合い、首を傾げた。
「ぬぅ、使えぬ雑魚どもめ、もうよい、私は先に行く!」
司馬懿はとりあえず、大きな舞台らしきものが設置されている広場へ、足を運んだ。
「これは、魏の軍師殿ではありませんか!まさか堅物で有名な貴方が参戦とは、負けられませんね。」
若く快達な声音がして、振り返ると、ノースリーブに燕尾の服を纏い、若々しくへそなどを見せている少年が年に似合わぬほどの軍勢を連れて立っていた。
「私は呉の陸伯言と申します。立派な“あいどる”を目指して、正々堂々と勝負しましょう!」
「なに?」
こんな若造も“あいどる”とやらに取り付かれている。いったいこの世はどうしてしまったというのか?
周りを見渡せば、見覚えのある奴等ばかりだ。それは敵も味方も混じっている。
「さぁて、始まりました!アイドル争奪戦!本日も好カードが目白押し!司会進行を努めさせていただきますのは、僭越ながらワタクシ、アイドル宣教師・チャオ・ピでございます!」
司馬懿は、君主のあまりの馬鹿馬鹿しい演出に、穴があったら入りたい気持ちになった。
「それでは一回戦、孫呉の皮肉屋・凌統公績!対するは、蜀漢の熱血正義野郎・馬超孟起!」
明らかに汗臭い連中が集っている。“あいどる”というのはそんなに高い権力の象徴なのだろうか…司馬懿は、それなりにまともな大会の事運びに、少しやる気が出てきた。
一回戦の段階で、出場者の半分が消されていった。
司馬懿の一回戦の相手は、関羽の息子・関平だった。
奴は、ひたすら大刀を振り回しているだけで、張コウ風に言えば、美しさの欠片もなかった。
そういえば、この大会に、死んだはずだったかつての剛勇・呂布とその妾・貂蝉や張角とかいった怪しい宣教師なんかも見られた。
“ぱられるわーるど”とでもいうのだろうか。恐ろしいものだ。
その後の試合で、張コウが美しく舞い、孫呉の大喬を降していた。
孫呉の陸遜は会場を火の海に変えてしまっていた。
ふと、戦いもたけなわとなってきてから司馬懿は気付いた。
此処まで名雄の揃った大会に、司馬懿のライバル・諸葛亮がいない。
コレは策なのだろうか?敢えてこういう場には赴かず、力を蓄えているのではないか…
そう思ったら、司馬懿はこんな場所に居ることがあほらしくなってきた。
「あぁ…わ…私の舞いがぁぁぁ…」
張コウの舞いが負けたらしい。相手は、左慈とかいう仙人だ。
「さて、準決勝です!準決勝第一回戦は、曹魏が誇る、腹黒策士・司馬懿仲達!」
ひどい紹介の仕方だ…
「対するは、孫呉の萌えぇぇぇな顔に腹黒を秘めた美少年軍師・陸遜伯言!」
あの火計小僧が相手だ。闘うたびにこのステージが燃えつくされてしまっており、何度か試合が中断していた。
この大会がレジメよりも時間が掛かっているのは、この火計小僧が燃やし尽くしているからだった。
「正々堂々勝負しましょう!」
そういった陸遜は、爽やかな笑顔を浮かべている。
正々堂々とはよく言ったものだ。
彼の仕掛ける火計の影に、朱然とかいう、奴の部下が火矢をぶっ放してくるのだ。
真っ向勝負なんてあったものではない。
「ふん、若造め。経験の差というものを教ええくれるわ!」
司馬懿は、陸遜の試合を数度観察し、奴が合図を送ると、朱然隊が火矢を放つことが分かっていた。
先手は必勝だ!司馬懿は窮奇の羽扇から紫色の鮮やかなビームを放った。
「うわぁぁぁ!」
陸遜は先を打たれて、弾けとんだ。
「くぅ…ビームとは…」
「ふふん、この俺のビームは方々に放つことで、逃げても逃げても当たるのだ。」
「負けません!朱然隊!」
「させるか!」
ビーーーーーーーム!!!!
「うわぁぁぁぁぁぁぁ〜!!!!」
「勝負あったーーー!司馬懿、司馬懿が決勝進出です!」
司馬懿は、鼻で足元に転がる若造を笑い、歓声の中、ステージを降りた。
決勝は、司馬懿vs左慈だった。
左慈は護符とビームの使い手だった。360度に広がるビームに司馬懿は何度となく弾き飛ばされた。
「くそ…バカめが…」
自在に伸びる護符、そして隙のないビーム。
司馬懿は完敗だった。
起き上がったころには『アイドル争奪戦』は終了していた。
恥ずべき君主が、司馬懿の脇に腰を下ろしていた。
「気がついたか…」
「殿…」
「アイドルは、例年通りだ。」
「…あの、左慈とかいう仙人ですか…奴が、“あいどる”だったのですね…」
「いや。」
曹丕は俯き、首を振った。
「仲達よ、お前が闘ったのは予選だ。」
「は?」
「真なる決戦は、真のアイドルとの勝負。左慈は、アイドルに負けた。完敗だった…」
「そろそろお教えいただきませんか?あいどるとは…」
そのときだった。耳元に天から降ってくるような細い声音が聞こえた。司馬懿と曹丕顔色を変えて声の方を見やった。
「アイドルは…私です。」
高い岩のうえには、見慣れた白い法を纏い、緑の内掛けを着込んだ男が逆光の中から浮かび上がってきた。
「あ…ああ奴…諸葛亮か!!!」
司馬懿の脳天に怒りがこみ上げてきた。
「仲達、左慈をくだしたアイドル・諸葛様だ。」
「な、何…」
司馬懿の顔色が真っ青に変わっていく。つまり、司馬懿は左慈にさえ勝てば、憎き相手と雌雄を決することができたのだ。
「お〜の〜れ〜!馬鹿めが!馬鹿めが!言ってくれれば本気で…」
窮奇の羽扇を崖の上の人影に向けて叫んだ。
「全く、貴方は相変わらずぎゃーぎゃーとやかましいですね。本気でやれば勝てるなんて、本当にそう思っているんですか?」
諸葛亮は司馬懿を見下し、鼻で笑った。
「何を!!降りて来い、諸葛亮!俺がそのアイドルとかいうあほな勲章を奪ってやる!」
諸葛の背に太陽が昇ってくる。忽ち、逆光で顔が分からなくなった。しかし、あざけ笑っていると司馬懿には見えた。
「いきますよ…」
諸葛亮が小声で呟いた。司馬懿には届かなかった。
寸分の差で、真っ直ぐな白いビームが、司馬懿の鳩尾に入った。
「くぅ…」
「貴方の負けです。アイドルには勝てません。」
諸葛亮は口元に白い羽扇をあて、司馬懿を一瞥すると、崖の上から其の影を消した。
司馬懿は暫く悶絶したのち、力尽きてその場に果てた。
再び眼を覚ますと、司馬懿は天蓋のベッドに寝かされていた。
曹丕が覗き込んでいるのが見える。
「と…殿…」
司馬懿は慌てて起き上がり、ベッドから転げ落ちた。
曹丕は側の椅子に腰掛、片肘をつけ、顔を支えてこちらを睨んでいる。
「仲達…しくったな…」
曹丕の声音は静かに腹の底から響いている。何か怒りが含まれている様子だ。
「申し訳ありません…」
司馬懿は膝を付け、平伏した。
「来年だ。」
司馬懿は顔を上げ、眉を歪めた。
「は?」
「来年、再びアイドルを目指せ。」
曹丕は「ふっ」と鼻で笑った。
「期待しているぞ。」
そういうと、曹丕は椅子から立ち、背のマントを翻して部屋を後にした。
司馬懿は、目が点になったまま、動くことが出来なかった。
ただ動いていたのは、脳内だけで、
『いつ、この国は果てるのだろうか…』
ということだけをひたすらに考えていたのだった。
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