戦国無双

モクジ

  君の名は。  

民家の軒先に、一匹の赤犬が繋がれていた。
赤犬は、こちらに向かって威嚇しつつも、怯えるように甲高い声音で鳴いていた。

**
石田三成は、自ら治める佐和山にて、書とにらめっこしていた。
戦の影は、今は薄れてきており、青々とした空には雲ひとつない。
平和…
それはこんなものか、と三成は漠然と感じていた。
その瞬間、三成の背中が、寒いわけでもないのに震えた。
悪寒…
それはこんなものか、と三成は漠然と感じた。

何か、嫌な予感がする。

数日後、三成は政務で、尾張近辺まで足を運んでいた。
立ち寄った宿場で、三成は一匹の赤犬と目が合った。
犬は、首を傾げながらマジマジとこちらを見ている。
なんとなく気味が悪くなった三成は馬に乗り、その場を立ち去った。
「佐吉!」
三成はハッとして振り向いた。
佐吉…
それは三成の幼名だ。
振り向いた先には、例の犬とその飼い主であろう麻の筒袖に袴という質素な格好をした男が戯れていた。
「佐吉、何処行ってただ!お前がいないと旦那様がたいそうお怒りになるだよ!」
「わんわんわん!」
軽く関東のなまりが見られる。
しかし、いくら身なりが麻とは言えども、なんとなく身分のありそうな武家っぽい。
犬を飼うことは珍しくはなかったが、身分の高い武家が犬などという畜生を果たして飼うのであろうか?
なんとなく嫌な予感がし、同行していた小西行長ら、重臣を先に行かせ、自分はしばらくその宿場に留まることにした。
犬を連れた御家人は、人目を忍ぶかのように、傘を被り、町外れの廃寺へと姿を消した。
三成は馬を置き、こっそり御家人の跡をつける。
廃寺には、立派な馬が木桶の水で喉を潤していた。
馬の風貌を見ても、身分の低い武家とは思えない。
三成はいよいよ嫌な予感がしてきた。
「佐吉はいたか?」
廃寺から聞きなれた声が聞こえた。
「ヘイ!」
例の御家人がハキハキと答えた。
廃寺の破れた障子戸が開き、御家人と同じような麻の筒袖、くくり袴、脚絆、わらじ、萎えた烏帽子といった一見商人とも思える格好の男がその姿を現した。
「おいで、佐吉。」
その男はそう言って、頬を赤らめながら犬の喉を撫でた。
犬は喜んで尻尾を振っている。桃色の舌を垂らし、犬は明らかに商人紛いの武人に懐いている。
聞きなれた声、服装は質素だが、見たことのある面構え。
三成は、右頬をヒクヒクさせ、愕然とした様子で、その奇妙な情景を見ていた。
「か…兼続…」
ガサッという草木を踏む音と、低く重い声音が犬と戯れる男の耳に届いた。
しばらく、驚いて目を見開いていた当人は、胸を撫で下ろしたような安心した声音で
「三成ではないか。」
と普通に返した。
「何をしているんだ、こんなところで。」
「それはこっちの台詞だ、兼続!お前こそ、そんな格好で、駄犬引き連れて何してるんだ!」
質素な身なりの男こそ、関東管領・上杉景勝が重臣・直江兼続その人であった。
「俺は、お前に会いに来た。」
「…」
義人・直江兼続は、さらりと言う。この淡白な返答に、三成の肩が更に堕ちる。
「…で、その犬は。」
「佐吉だ。」
これもやはり、さらりとした返答だ。
「その名はなんだ!どうして犬なんか連れている!」
三成は激昂した。
「かわいいだろ?先日戦で廃村となってしまった家の軒先で、細い身体にも関わらず俺に向かって吠えてくるんだ。そのけなげさに引かれてつい拾ってきてしまってな。」
「可哀想な犬畜生など、五万といるだろう?お前は可哀想だと思った犬を片っ端から庇護するつもりか?」
「こいつは特別だ。」
兼続の眉間に、久々に皺が寄った。よほど何か思い入れでもあるかのようだった。
三成は、「クッ」と引き下がり兼続の出方を覗った。
「こいつの毛並み…」
三成が耳を傾ける。
「三成、お前にそっくりなんだ。」
傾いた身体が一気に前にのめる。
「はぁ?」
「本当は好いてる相手なのに、牙を立ててくるところとか、ほら、甘えた表情とかまるで俺のところにくるお前にそっくりではないか!」
兼続の弁舌にも力が篭る。兼続の熱が上昇して行くのに反し、三成の力は徐々に脱力していく。
「…はぁ…」
で、いつ俺がそんな顔をした?と問いたい言葉を三成は飲み込んだ。
「かわいいだろ、お前みたいで。この佐吉をお前に見せたくて、ついつい来てしまったよ!」
兼続が「佐吉、佐吉」と犬を愛でる度、三成の背中に悪寒が走った。
先日、感じた悪寒はこれだったのか、と三成は頭を抱えた。
「あ、こら、佐吉。くすぐったいだろ?あははははは〜」
犬・佐吉は兼続の頬を舐めている。
その異様な光景がキモくてキモくて、三成は愕然とした表情でついつい見入ってしまっていた。

もう、何も言うまい。

三成は心の中でそう思っていた。



おしまい。
モクジ
 

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